大腸がんが発覚してから入院するまでの経緯をまだ覚えているうちに、何回かに分けてまとめたいと思います。久しぶりの続編です。
前回の記事で大腸がん発覚から2018年の最終出社日および通院まで書きました。
今回は正月休みの間に考えたことについて書きました。
前回の記事はこちら
正月休み
大晦日、お正月三が日は毎年恒例で実家でのんびり過ごしました。ただいつもと違うのは大きな病気を私が抱えているという点でした。
ただ家族はいい意味で気を使ってくれってもらい、いつもと同じように接してくれて、変わらない正月休みを過ごすことができました。
そのことは私としては非常にありがたかったです。
下手に気を使われると、私も気を使ってしまうのと、せっかくのお正月は普段通り楽しく過ごしたかったので。。。
一応主治医からは特に食事制限などもありませんでした。
大晦日は父の手打ちそば
正月はいつも通りお酒も飲みます。
日本酒と余市 いつもよりは少なめにだけど、美味しくいただきました。
正月三が日が過ぎると自宅に帰ります。
自宅に戻る前に神田明神に寄って色々と祈願しました。
こうして、正月休みは過ぎて行きました。
これまで当たり前と思っていた風景が当たり前ではなくなること
正月休みのある日、片付けをする母親をこたつでぐてっとしながら見てると、もしかしたら来年この光景を見ることが出来なくなるかもしれないとふと感じました。[1]なぜこう感じた方はわからないです。
それと同時に急に死ぬことを怖いとを思うようになりました。。。
この時点で、自分は一応転移していない(ステージⅣではない)と診断を受けているがまだ決定はしておらず、手術をした結果、腹膜播種などの転移が認められる可能性も十分考えられますし、最悪手術ができず来年を迎えることができない可能性もありました。
しかしそれまで、あまり死について考えていませんでしたし、それまである程度やりたいことをやっており[2]主に登山や旅行ですが。。。、仮にステージⅣで長くないと診断されたとしても受け入れる自信はあると思っていました。
しかし、上記の通り、もし自分が死んだら、ずっと当たり前のように見ていたこの光景を2度と絶対に見ることができなくなる。
そう考えると他にも当たり前になっていること(家族との日常や旅行など諸々)も一つ一つこなす度に最後になるかもしれないと思うようになりました。
それは寂しいというか怖いというか言葉では言い表せないような感覚でした。おそらくこれが死への恐怖なのではと思いました。
そこからは「死ぬこと」というより「今後の生き方」についてきちんと向き合うようになりました。
そして病と今後について本格的に考えるようになり、とりあえず以下のことを考えるようにしています。。
・各ステージごとの治療内容を自分の納得できるように理解する。
・余命が1年、3年、5年のように短い場合、どういう風に生きたいか考え、実行する。
・上記を真剣に考えすぎて悩むなら、とりあえず気楽に過ごす。
・その他やりたいことが出てきた場合、やらなくて後悔しそうならやる。
当たり前のことに気づいただけかもしれませんが、正月休みはそのことに気づいたいいターニングポイントだったと思います。
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